back number「ブルーアンバー」歌詞考察|内に秘めた涙が「綺麗」な宝石になるまで。もうひとりの私との対話の意味。

歌詞分析

こんにちは!今回は、back number「ブルーアンバー」の歌詞を解釈します。内に秘めた感情が美しい宝石になるまでの、切なくも優しい自己対話の物語を紐解いていきましょう。

 

今回の謎

 

  1. なぜ、この曲のタイトルは「ブルーアンバー」なのでしょうか?アンバー(琥珀)は本来、黄色や赤褐色のものが一般的ですが、希少な「ブルー」であることには、どのような意味が込められているのでしょうか。

  2. 歌詞には「私」と、その内側で叫ぶ「もうひとつの私」が登場します。この二人はどのような関係なのでしょうか。そして、なぜ二人は対話し、互いを認め合う必要があったのでしょうか。

  3. サビで印象的に繰り返される「綺麗よ」という言葉は、一体誰が、誰に向けて言っているのでしょうか。そして、悲しみや醜さを抱えたはずの感情が、なぜ「綺麗」だと肯定されるのでしょうか。

 

歌詞全体のストーリー要約

この楽曲は、主人公が抱きしめられた記憶や伝えられなかった心といった、表に出せない感情を内に抑圧するところから始まります。その抑圧された感情は「もうひとつの私」となり、内側で叫び始めます。物語の中盤で、主人公(表層の私)はその内なる声に気づき、その涙の存在を認め、受け入れます。最終的に、長い時間溜め込まれた涙は「ブルーアンバー」という美しい宝石のように肯定され、二人の「私」は和解と統合へと向かいます。

 

登場人物と、それぞれの行動

 

  • 私(表層意識の私):

    現実世界を生きる主人公。他人からの視線を意識し、情熱(赤い雫)や悲しみ(青い雫)といった生々しい感情を「人様に見せるものじゃない」と強く抑圧し、内に隠してしまう。平気なふりをし、「ごっこみたいな暮らし」で自分を慰めている。

  • もうひとつの私(内なる自己):

    主人公によって抑圧された感情の化身。「伝えなかった言霊」から生まれ、身体の内側で「欲しかった」「悔しかった」「愛してる」と本音を叫び続けている。誰にも気づかれず、見えない場所で泣き続けている存在。

 

歌詞の解釈

 

 

はじめに:内に秘めた、赤と青の雫

 

back numberの楽曲は、恋愛における痛みや切なさをリアルに描くことで多くの共感を呼んできましたが、この「ブルーアンバー」は、そのさらに奥深く、個人の内面で繰り広げられる自己との対話に焦点を当てた、極めて内省的な一曲と言えるでしょう。

物語は、「抱きしめられた記憶から流れ出た赤い雫」という、鮮烈なイメージで始まります。この「赤い雫」とは何でしょうか。それは愛された記憶の温かさか、あるいはその記憶に伴う情熱、執着、もしくは傷ついた心の血のようにも感じられます。いずれにせよ、それは極めてプライベートで、生々しい感情の象F徴。「人様に見せるものじゃない」という一文が、主人公の強い抑圧体質を物語っています。

続いて、伝えられなかった言葉が「もうひとつの私」になる、という衝撃的なフレーズ。言えなかった想いは消えるのではなく、人格を帯びたエネルギーとなって、自分自身の内側で叫び始める。これは、誰もが経験する「本音と建前」の乖離を、より深刻で切実なレベルで描いた表現です。

 

内なる自己の叫びと、表の私の「ごめんね」

 

プレコーラスでは、その「もうひとつの私」の叫びが、はっきりと聴こえてきます。「欲しかったのに」「悔しかったのに」。あまりにもストレートで、純粋な欲望と後悔の言葉です。表層の「私」が必死で隠してきた本音が、内側から突き上げてくるかのようです。

そして、それに続く「駄目だよ全部隠しておくの ごめんね」という言葉。この「ごめんね」は、誰に向けられた謝罪でしょうか。それは間違いなく、感情を押し殺してきた「もうひとつの私」に対する、表層の「私」からの謝罪です。自分の本心を無視し、孤独に泣かせてきたことへの、初めての罪悪感の吐露なのです。

 

「綺麗よ」― 涙の発見と、初めての肯定(謎3への答え)

 

そして、この曲の核心であるサビへと至ります。

「悲しいのは一人で充分だからと」「これ以上醜くなりたくないのと」― これは、主人公が感情を隠してきた理由、つまり表層の「私」が掲げてきた言い分です。周りに悲しみを伝染させたくない、感情的になって醜い自分を見せたくない。そんな理性が、彼女に蓋をさせてきたのです。

しかし、その蓋の下で何が起きていたのか。

「私の中で誰にも見付けられずに こんな色になるまで泣いていたんだね」

表層の「私」は、ついに内なる自分の涙を発見します。それは、誰にも知られず、長い長い時間、ただただ流され続けた涙。そして、その涙が溜まりに溜まって、特別な「色」を帯びていることに気づくのです。

そして、その涙に向けられた言葉が、「綺麗よ」。

ここで謎3の答えが明らかになります。この「綺麗よ」は、表層の「私」が、傷つき、泣き続けてきた「もうひとつの私」へとかける、最大限の受容と肯定の言葉です。なぜ、悲しみの涙が「綺麗」なのか。それは、嘘や体裁で飾られていない、純粋な感情そのものだから。痛みを痛みとして、悲しみを悲しみとして、ただただ感じ続けてきたその姿の、ありのままの美しさを認めた瞬間なのです。

この、ありのままの自分を肯定するというテーマは、back numberの「オールドファッション」で描かれる、欠点も含めて相手を愛おしく思う心境とも深く響き合います。他者に向けるその眼差しが、この曲では自分自身の内面へと向けられているのです。

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宝石になるのを待つ涙と、偽りの日常

 

物語はさらに進み、今度は「渡しそびれた心から流れ出た青い雫」が登場します。赤が情熱や傷だとするならば、青は悲しみ、憂い、伝えきれなかった冷静な想いを象徴しているのかもしれません。この青い雫もまた、「人様に浴びせるものじゃない」と、内に仕舞い込まれます。

そして、それらの感情を「余すとこなく飲み込んで」「宝石にでもなれるのを待つ」というフレーズ。これは、単なる感情の抑圧や消去ではありません。痛みや悲しみが、いつか時間をかけて価値ある美しいもの(宝石)へと昇華されることを信じる、切実な願いです。

しかし、その昇華を待つ間、現実はどうでしょうか。ブリッジ部分では「本当を嘘で飾って ごっこみたいな暮らしで慰めて」と、感情を殺して生きる日常が描かれます。さらに、「誰かの悲劇で自分の悲劇を癒して」という一節は、現代社会に生きる私たちの心の闇を鋭く抉ります。

それでも、偽りの日常の中ですら抑えきれない本音が、再び顔を出します。「恋しさに溺れた瞬間のままで 息も出来ずただ 愛してるの」。どんなに蓋をしても、心の奥底では、愛する想いが生き続けている。これこそが、「もうひとつの私」の存在理由そのものなのです。

 

二人の「私」の和解と、ブルーアンバーの完成(謎1、2への答え)

 

繰り返されるサビは、一度目よりも強い確信を持って響きます。表層の「私」による、内なる「私」への共感と肯定は、もはや揺るぎないものになりました。

ここで、謎2「二人の私の関係」の答えが見えてきます。当初、二人は抑圧する側とされる側という、断絶した関係でした。しかし、表層の「私」が内なる声に耳を傾け、その痛みを「綺麗」だと認めたことで、二つの心は和解し、一つに統合されようとしています。 これは、自己否定から自己肯定へと至る、魂の治癒のプロセスそのものです。

そして、最後の謎「なぜタイトルはブルーアンバーなのか」。

アンバー(琥珀)は、古代の木の樹脂が、地中で何百万年、何千万年という長い時間をかけて化石化したものです。この歌において、それは主人公が内に溜め込んできた感情の雫(赤い情熱と青い悲しみ)が、心の奥底で長い時間をかけて結晶化したもののメタファーです。

では、なぜ「ブルー」なのか。ブルーアンバーは、紫外線などの光を浴びることで青く幻想的に輝く、非常に希少で価値の高い琥珀です。これは、一見するとただの悲しみの塊(青)に見えるかもしれない涙が、光(=自己の受容、他者の理解など)に照らされた時、他に類を見ないほどの美しさと価値を放つことを象徴しているのではないでしょうか。赤と青の感情が混ざり合い、長い苦しみの時間を経て昇華された、唯一無二の心の宝石。それこそが、「ブルーアンバー」なのです。

この、誰にも理解されないかもしれないけれど、自分だけの表現や感情を大切に抱きしめる姿は、大森元貴さんの「絵画」で歌われる、自分だけの色で世界を描きたいと願う孤独な心とも通じるものがあります。

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歌詞のここがピカイチ!:「誰かの悲劇で自分の悲劇を癒して」というフレーズの鋭さ

 

この楽曲の中で、特に心を抉られるのがブリッジのこの一節です。私たちは無意識のうちに、ニュースやSNSで目にする他人の不幸やゴシップに触れ、「それに比べれば自分の悩みはまだマシだ」と相対的に自分の痛みを軽くしようとすることがあります。それは、自己肯定感が低下している時に陥りがちな、不健康な心の防衛機制です。この、多くの人が心のどこかで経験したことがあるであろう、しかし直視したくない人間の弱さや醜さを、back numberはたった一文で的確に、そして美しく描き出しています。この言語感覚の鋭さ、人間観察の深さこそ、彼らの楽曲が多くの人の心に突き刺さる理由の一つでしょう。

 

モチーフ解釈:「雫」(赤い雫・青い雫)

 

この歌詞における重要なモチーフは、間違いなく「雫」です。これは単なる涙ではありません。それは、言葉にならなかった想い、行動に移せなかった感情のエッセンスそのものです。「赤い雫」は、抱きしめられた記憶から生まれる情熱や、あるいは心の傷。「青い雫」は、渡しそびれた心から生まれる悲しみや憂鬱。

これらは本来、他者との関係性の中で流され、共有されるべきものだったのかもしれません。しかし主人公は、それらを「人様に見せるものじゃない」と、自分の中に留めます。その結果、雫は体内で混ざり合い、長い時間をかけて「ブルーアンバー」という宝石に姿を変えます。つまり「雫」は、抑圧されたネガティブな感情のメタファーであると同時に、時間をかけて昇華され、唯一無二の価値あるものに変わる可能性を秘めた「原石」でもあるのです。

 

他の解釈のパターン

 

 

パターン1:死別した相手への想いを歌った説

 

この歌詞を、恋愛の終わりではなく、愛する人との「死別」をテーマにしていると解釈することも可能です。その場合、「抱きしめられた記憶」や「渡しそびれた心」は、もう二度と触れることも、想いを伝えることもできない、亡き相手へのものとなります。だからこそ感情は完全に行き場を失い、「もうひとつの私」として内側で叫び続けるしかありません。「悲しいのは一人で充分だから」という言葉は、残された自分がしっかりしなければ、という故人への誓いにも聞こえます。そして、サビの「綺麗よ」は、悲しみにくれる主人公を、天国から見守る相手が語りかけている言葉、あるいは主人公自身が、色褪せない相手との美しい思い出そのものに対して言っている言葉と捉えることができます。この解釈では、「ブルーアンバー」は、深い悲しみという長い時間を経てもなお、輝きを失わない永遠の愛の結晶として、より一層切なく響きます。

 

パターン2:アーティスト(表現者)の苦悩を歌った説

 

この物語を、恋愛というテーマから離れ、創作活動を行うアーティスト自身の内なる葛藤を歌ったものだと解釈することもできます。表現者として、世界に伝えたい情熱(赤い雫)や、個人的な憂愁(青い雫)がありながらも、世間からの評価や需要を気にして「人様に見せるものじゃない」と、作品にすることを躊躇してしまう。その、表現されなかった想いが「もうひとつの私」となり、内側で創作意欲として叫び続けるのです。「本当を嘘で飾ってごっこみたいな暮らし」とは、売れるため、期待に応えるために、本心を偽った表現活動を続けている状態を指すのかもしれません。「綺麗よ」という言葉は、そんな商業主義や自己検閲と戦い、葛藤の末に生み出した、純粋でパーソナルな作品(ブルーアンバー)を前にした時の、自分自身からの、あるいは真の理解者からの最高の賛辞と読むことができます。

 

歌詞の中で肯定的なニュアンスで使われている単語・否定的なニュアンスで使われている単語のリスト

 

  • 肯定的なニュアンスで使われている単語:

    欲しかった、愛してる、綺麗よ、宝石

  • 否定的なニュアンスで使われている単語:

    悔しかった、駄目だよ、ごめんね、悲しい、醜く、泣いていた、渡しそびれた、嘘、ごっこ、悲劇、溺れた、息も出来ず

 

単語を連ねたストーリーの再描写

 

「悔しかった」想いを飲み込み、「嘘」の暮らしで慰める。

内側で「泣いていた」自分を見つけ、「悲しい」涙は「醜く」ないと抱きしめる。

その涙はいつか「宝石」になるから。

「ねぇ綺麗よ」。

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