大森元貴「絵画」歌詞解釈|飾られる絵画になれない私を、あなただけの色で描いてほしいという願いの意味。

歌詞分析

こんにちは!今回は、大森元貴さんの「絵画」の歌詞を解釈します。孤独と承認欲求の狭間で揺れる「私」の切実な願いに迫ります。

 

今回の謎

 

この魂を揺さぶるような楽曲を聴いて、皆さんはどんな謎を感じましたか?この記事では、特に以下の3つの謎について、深く掘り下げていきたいと思います。

  1. タイトルにもなっている「絵画」とは、この歌詞の中で何を象徴しているのでしょうか?

  2. 歌詞の中で、「私」はなぜ「最期まで愛してほしい」と願いながら、同時に「最期までポイして欲しい」という矛盾した願いを抱くのでしょうか?

  3. 歌詞の最後で、「私の影を貴方は探してくれる?」と問いかけます。この問いに込められた、「私」の本当の望みとは一体何なのでしょうか?

 

歌詞全体のストーリー要約

 

この楽曲が描く心の軌跡は、大きく3つの段階で構成されていると読み解くことができます。

物語は、孤独に慣れたと嘘をつき、本音をひた隠しにする「私」の姿から始まります。その心の中では、愛されたいという強い願いと、こんな自分は捨てられて当然だという自己嫌悪が激しく衝突し、矛盾した承認欲求となって現れます。最終的に、「私」は完璧な存在でなくてもいい、ありのままの自分にしかない価値を見出し、その存在を誰かに肯定し、見つけ出してほしいという、切実な救いの願いへと至るのです。

 

登場人物と、それぞれの行動

 

この歌詞の世界は、ほとんど「私」の内面で完結していますが、その魂の叫びを受け止めるべき存在として「貴方」が登場します。

  • : この物語の語り手。深い孤独感と自己嫌悪を抱え、精神的に不安定な状態にいます。「散らかった思考の渦」や「散らばった理想の海」に呑まれそうになりながら、他者からの承認を切望しています。自分を、欠点だらけで「飾られる様な絵画」にはなれない存在だと認識しており、それでもなお、誰かに「私にしか無い色」を見つけて愛してほしいと願っています。

  • 貴方: 「私」が救いを求める対象となる存在。歌詞の後半でその存在が明確になります。「私」の辛い過去や、だらしなく不完全な現在をも受け入れ、その存在を「絵画」として描き、自身の心の中という特別な場所に「飾って」くれることを期待されています。

 

歌詞の解釈

 

それでは、歌詞を深く読み解きながら、「私」の魂の彷徨いを追っていきましょう。これは、単なるラブソングではなく、人間の根源的な孤独と、承認への渇望を描いた、痛切な詩です。

 

震え、狂い、千切れる心

 

楽曲は、非常に断片的で、暴力性すら感じさせる言葉の羅列から始まります。「震わせて」「狂わせて」「捨てる」「千切れる」。これらの動詞は、他者の存在によって心が激しく揺さぶられ、翻弄され、傷つけられている「私」の姿を強烈に印象付けます。「艶美に」「フェミニン」といった美しい言葉が混在することで、そのアンバランスさがかえって際立ち、危うい精神状態にあることが示唆されます。

街に響く「鐘」の音は、まるで「禊の様に」心を洗い流していく。しかし、それは決して心地よいものではなく、「残酷に」響きます。この浄化が、痛みを伴うものであることがわかります。

そして「私」は、「孤独にも慣れた」と呟きます。しかし、それはすぐに「あぁ また嘘をついた」と自己否定される。本当は「抱きしめて」ほしい。その切実な願いが心の内で叫びとなっていても、決して外には「洩れないように」と固く蓋をしているのです。内面の激しい渇望と、外面の静寂。そのギャップが、「私」の孤独の深さを物語っています。

 

「絵画」に込められた、存在証明への願い(謎1への答え)

 

サビで、この楽曲の核心的なモチーフである「絵画」が登場します。

(謎1への答え)

この歌詞における**「絵画」とは、「他者によって認識され、意味を与えられる『私』という存在そのもの」の象徴**です。「私」は「散らかった思考の渦に呑まれそう」なほど、自分自身の内面をコントロールできずにいます。そんな「私」が願うのは、「飾られる様な絵画にはなれなくても」、つまり、誰もが称賛するような完璧で理想的な存在にはなれなくても、「私にしか無い色で描いてほしい」ということ。

絵画は、鑑賞者や描く者がいて初めて価値が生まれます。つまり、「私」は、誰か――「貴方」――によって見出され、解釈され、意味づけられることでしか、自分の存在を肯定できないと感じているのです。完璧でなくていい、傷だらけでもいい。ただ、この混沌とした自分の中から「私にしか無い色」という唯一性を見つけ出し、価値を与えてほしい。それが「描いてほしい」という願いに込められた、存在証明への渇望なのです。

 

愛されたい、でも捨てられたい―矛盾した願いの正体(謎2への答え)

 

物語が進むと、「私」の心に渦巻く矛盾がさらに露わになります。「花」が「咲くことも知らずに散る」という一節は、自分の魅力や価値に気づかれないまま、あるいは自分自身が気づかないまま、無意味に消えてしまうことへの恐怖を感じさせます。

そして、二度目のサビで、聴き手は強烈な矛盾に直面します。「散らばった理想の海に溺れる様な私を」、今度は「最期までポイして欲しい」と願うのです。

(謎2への答え)

なぜ「愛してほしい」と願った舌の根も乾かぬうちに、「ポイして欲しい」と願うのでしょうか。この一見理解しがたい矛盾こそが、「私」が抱える深刻な自己嫌悪と自己肯定感の低さの表れです。心の奥底では、愛されたい、受け入れられたいという人間として自然な欲求がありながら、「こんな欠点だらけで価値のない自分は、愛される資格などなく、捨てられて当然の存在だ」という強烈な自己否定感がそれを打ち消そうとします。

愛を求める本能と、愛されることへの罪悪感や恐怖。その二つが心の中で激しくせめぎ合い、結果として「愛してほしい、でも捨ててほしい」という矛盾した叫びとなって噴出するのです。それは、愛されることによって自分が変わってしまうことへの恐れ、あるいは、いつか捨てられるくらいなら最初から期待したくない、という防衛本能の現れでもあるのかもしれません。

この「レンズ(他者の評価)には傷が目立つ」自分をありのままで肯定してほしいという願いは、内に秘めた感情が輝きに変わるまでを描いたback numberの「ブルーアンバー」の物語とも重なります。

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私の海岸を歩き、影を探してほしい(謎3への答え)

 

ブリッジで「誰かのせいにできたら楽なんだろうな」と呟くように、この苦しみが他者から与えられたものではなく、自分自身の内面に起因することを「私」は痛いほど理解しています。

そして、物語は最終局面へ。これまで漠然としていた救いを求める対象は、「貴方」という二人称となって、より明確な輪郭を結びます。

「辛かった非凡と鬱に呑まれていた 私の海岸を歩いてほしい」。これは、ただ今の自分を見てほしい、というレベルの願いではありません。自分の苦しみの根源である、暗く辛い過去の記憶(海岸)そのものを、「貴方」に追体験してほしい、という非常に踏み込んだ要求です。自分の存在のすべてを、その歴史ごと理解し、受け入れてほしいという切実な願いがここにあります。自己の内面を深く掘り下げ、過去の経験と向き合うという点では、Vaundyの「僕にはどうしてわかるんだろう」で描かれる内省の旅路にも通じるものがあります。

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その上で、「見せられぬ程だらしない今日に明日に」、つまり格好悪く不完全なありのままの自分を「絵画」として描き、あろうことか「貴方の部屋にその絵画を飾ってほしい」とまで願います。これは、ただ認識されるだけでなく、相手の心の中の、日常の視界に入る特別な場所に、自分の存在を置いてほしいという、究極の承認欲求です。

そして、アウトロで最後の問いが投げかけられます。

(謎3への答え)

虚しさや不安のループから逃れられない「私」。鐘が鳴り、また一人になった時、「私」は自問します。「私の影を貴方は探してくれる?」この問いに込められているのは、「たとえ私が光の当たらない場所にいて、その存在が希薄な『影』のようなものになったとしても、貴方だけは私のことを見失わずに、能動的に見つけ出そうとしてくれますか?」という、最後の、そして最も切実な救済への祈りです。光(貴方)がいなければ、影(私)は存在すらできません。光そのものを求めるのではなく、光によって生まれるか細い「影」である自分をこそ「探して」ほしいと願う、その倒錯した表現に、「私」の深い孤独と、貴方という存在への絶対的な信頼への渇望が集約されているのです。

 

歌詞のここがピカイチ!:「私の海岸を歩いてほしい」という表現の深度

 

この歌詞の中で特に心を掴んで離さないのが、「辛かった非凡と鬱に呑まれていた 私の海岸を歩いてほしい」という一節です。通常、辛い過去は「傷」や「闇」として比喩されますが、ここでは「海岸」という、具体的で広がりを持つ場所に例えられています。そして、それをただ「知ってほしい」のではなく、「歩いてほしい」と願う。これは、相手に自分の苦しみの歴史を追体験してほしいという、非常に深いレベルでの共感と理解を求める言葉です。自分の存在の根幹を、相手に完全に委ねようとするほどの切実さと、その情景が持つ詩的な美しさが両立している点に、大森元貴さんの非凡な作詞能力を感じずにはいられません。

 

モチーフ解釈:「色」が象徴する唯一性と関係性

 

この楽曲のもう一つの重要なモチーフは「色」です。「私にしか無い色」というフレーズは、「個性」や「唯一性」のメタファーとして機能しています。

主人公は、社会的に価値があるとされる完璧な人間像(飾られる様な絵画)にはなれない自分を自覚しています。だからこそ、一般的には評価されないかもしれない、くすんでいたり、濁っていたりするかもしれないけれど、確かに存在する「私だけの色」を誰かに見つけてほしい、価値あるものとして認めてほしいと願うのです。

重要なのは、「色」というものが、それを見る者(描く者=貴方)がいて初めて意味を持つ、ということです。このモチーフは、「私」という存在が、他者との関係性の中でしかその価値を見出すことができないという、人間存在の根源的なありようを示唆しています。この「色」というモチーフが、「描いてほしい」という願いと結びつくことで、承認欲求をテーマにしたこの楽曲に、哲学的な深みを与えているのです。

 

他の解釈のパターン

 

この楽曲は、その抽象性の高さから、様々な解釈が可能です。

 

解釈1:創造者(アーティスト)の苦悩の歌

 

この「私」をアーティスト自身、「絵画」を生み出される「作品」と捉える解釈です。「震わせて」「狂わせて」は産みの苦しみであり、「散らかった思考の渦」の中から作品を絞り出します。「飾られる様な絵画」(=誰もが称賛する傑作)は作れないかもしれないが、「私にしか無い色」(=オリジナリティ)で作品を描きたい。「レンズには傷が目立つ」とは批評家からの厳しい評価のことで、それでも自分の作品を愛してくれるファン(貴方)に「歌っていて欲しい」と願います。最終的に、自分の作品が誰かの心(部屋)に「飾ってほしい」と願う、アーティストの魂の叫びとして読むことができます。

 

解釈2:「推し」と「ファン」の現代的な関係性の歌

 

「私」を「ファン」、「貴方」をその「推し」と解釈することも可能です。「貴方」の存在が、孤独や鬱を抱える「私」の日常を「震わせて」「狂わせて」くれる。ファンである「私」は、「その他大勢」ではなく、一人の個人として「私」を認識してほしい(=私にしか無い色で描いてほしい)と願う。そして、「私の影を探してくれる?」という問いは、自分がファンでいられなくなったとしても、推しは自分のことを覚えていてくれるだろうか、という切ない問いかけになります。SNS時代の希薄な繋がりの中で、確かな存在証明を求めるファンの心理を描いた歌として、非常に現代的な解釈ができるでしょう。

 

歌詞の中で肯定的なニュアンスで使われている単語・否定的なニュアンスで使われている単語のリスト

 

肯定的なニュアンスの単語

艶美に, 響く, 抱きしめて, 愛してほしい, 描いてほしい, 咲く, 歓ばせて, 歌っていてほしい, 歩いてほしい, 飾ってほしい, 探してくれる?

否定的なニュアンスの単語

狂わせて, 捨てる, 難儀, 千切れる, もぐ, 残酷に, 孤独, 嘘, 洩れないように, 散らかった, 呑まれそう, なれなくても, 散る, バレないように, 悲しませて, 散らばった, 溺れる, ポイして欲しい, 傷が目立つ, 誰かのせい, 楽なんだろうな, 辛かった, 鬱, 見せられぬ程, だらしない, 虚しさ, 不安のループ, 許して, 冷えた部屋, 影

 

単語を連ねたストーリーの再描写

 

「孤独」に「嘘」をつき、「散らかった思考の渦」に呑まれそうな「私」。

「傷が目立つ」けれど、「私にしか無い色」で「描いてほしい」。

「だらしない」私の「影」を、「虚しさ」の中からどうか「探して」。

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