Mrs. GREEN APPLE「天国」歌詞考察|これは愛か、憎しみか。腐りゆく心が見た、歪んだ救いの意味とは。

歌詞分析

こんにちは!今回は、Mrs. GREEN APPLEの「天国」の歌詞を解釈します。愛と憎しみが渦巻く、あまりにも衝撃的で、しかしどこまでも美しいこの物語の深淵を、一緒に覗いてみませんか。

 

今回の謎

 

  1. これほどまでに苦しく、絶望に満ちた楽曲に、なぜ「天国」というタイトルがつけられているのでしょうか?

  2. 歌詞には「僕」と「私」という二つの視点が登場します。彼らは同一人物なのでしょうか、それとも別人なのでしょうか?そして彼らが憎む「貴方」との関係とは?

  3. 唐突に現れる「そうだ 家に帰ってキスしよう」というフレーズは、この絶望的な物語の中で、一体どのような意味を持っているのでしょうか?

 

歌詞全体のストーリー要約

物語は、誰かへの強烈な「許せない」という憎しみを抱く「僕」の視点から始まります。しかし、視点が「私」に切り替わると、その憎しみの裏には、あまりにも深く純粋な愛情があったことが明らかになります。最終的に、語り手は心身ともに朽ち果てていく中で、唯一の救いとして「死」を選び、その先にある「天国」で、かつての純粋な姿の相手と再会することを夢見る、という悲劇的なストーリーが描かれます。

 

登場人物と、それぞれの行動

 

  • 登場人物:

    • 「僕」/「私」: この物語の語り手。本記事では、これらを「一人の人間の中に存在する、愛と憎しみという相反する側面」あるいは「相手を失ったことで、その苦しみを取り込んでしまった同一人物」として解釈します。激しい憎しみと、消えない愛情の間で引き裂かれています。

    • 「貴方」/「あなた」/「君」: 語り手の愛憎の対象。かつては太陽のように明るく「健気」な存在でしたが、何らかの理由でその純粋さを失い、語り手を深く傷つけ、この世を去ってしまった人物。

  • 行動:

    • 語り手は、亡くなった「君」を許せない憎しみを抱えながらも、生きていた頃の美しい記憶(温もり)を捨てきれずにいる。

    • 過去の純粋だった自分(白さ)と、そんな相手を信じてしまったことを憎んでいる。

    • 自らの心が腐っていく(蛆が湧く)のを感じながらも、死んだ「君」の元へ行くことを決意し、お花を手向けている。

    • 来世(天国)で、「あの頃のままの君」と再会し、今度こそ幸せな関係を築きたいと切に願っている。

 

歌詞の解釈

 

Mrs. GREEN APPLEが描く「天国」。それは、私たちが思い描くような穏やかで幸福な場所では決してありません。むしろ、この世という地獄から逃れるための、唯一の出口であり、究極の救済の形として描かれているように私には思えます。

 

「僕」の視点:許せないという呪縛

 

物語は、「僕」の強烈な独白から幕を開けます。

もし自分だけの世界なら、誰かを憎むことなど知らずに済んだのに、と。しかし、現実はそうではない。「どうしても貴方の事が許せない」という、研ぎ澄まされた刃のような感情が、この歌の出発点です。

続くフレーズでは、夜がただ長く感じられる、と歌われます。これは、彼の苦しみが終わることなく続いている時間の感覚を象徴しているのでしょう。人間は、捨てきれない生き物だ、と。それは憎しみも、そして皮肉にも愛情も。見苦しいと自嘲しながらも、昇る朝日に心が動かされてしまう。死にたいほどの絶望の中にいながら、それでも生の輝きに惹かれてしまう人間の矛盾。この生々しい葛藤が、まず提示されます。

 

「私」の視点:愛した日々の痛みと惨めさ

 

そして、ここで視点が「僕」から「私」へと、静かに、しかし決定的に切り替わります。

「抱きしめてしまったらもう最期」。この一言で、二人の関係が一度始まってしまえば後戻りできない、破滅的なものであったことが暗示されます。

そして、本作の中でも特に胸を打つフレーズが歌われます。「信じてしまった私の白さを憎むの」。

彼女は相手を憎んでいるのではありません。相手を純粋に信じてしまった、かつての汚れなき自分自身(白さ)を憎んでいるのです。これは、あまりにも痛ましい自己嫌悪です。裏切られた悲しみよりも、信じた自分の愚かさを責めてしまう。

続く言葉は、その感情の複雑さを完璧に表現しています。あなたを好きでいた日々が、「大切で愛しくて痛くて惨め」。四つの相反する感情が、何の接続詞もなく並べられることで、整理しようのない混沌とした心の状態がそのままリスナーに叩きつけられます。大切で愛おしいという絶対的な肯定と、痛くて惨めだという絶対的な否定。この両方を同時に抱えてしまうのが、愛というものの本質なのかもしれない…そう思わされてしまいます。このどうしようもない喪失感と後悔は、別れた相手との運命を歌うOfficial髭男dismの「Pretender」が描く世界とも響き合います。

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失われた純粋さと、死への誘い

 

物語は、過去の回想へと移ります。

「あの頃、お日様を浴びた布団に包まる健気な君」。

ここからわかるのは、相手が元々は太陽のように明るく、純真無垢な存在だったということです。もし、君が「そのままで居てくれれば」、どれほど良かったか。しかし、その願いは叶わなかった。何かが彼/彼女を変えてしまったのです。そして、「もう知る由もない」という言葉は、彼/彼女がもはやこの世におらず、その真相を確かめる術もない、つまり「死」を強く暗示しています。

そして、歌は再び「私」の現在の行動へと戻ります。

「あぁ またお花を摘んで 手と手を合わせて」。これは明らかに、亡くなった人への供養の行為です。そして、その故人に向かって「もうすぐ其方に往くからね」と語りかける。これは、自らも死を選び、相手のいる世界へ行こうとする、静かな決意表明に他なりません。

この決意を、これほどまでに美しく、そして恐ろしく描いた表現があるでしょうか。

 

(謎3への答え)「家に帰ってキスしよう」に隠された狂気と救済

 

続くサビは、「どうすればいい?」という混乱と絶望の叫びから始まります。

自分は、ともすれば世界を汚す「醜悪な汚染の一部」でしかない。この強烈な自己否定。どうすればいいのか、いっそすべて忘れてしまえば楽なのか。

そんな葛藤の果てに、まるで啓示のように閃くのが「そうだ 家に帰ってキスしよう」という一文です。

一見すると、あまりに唐突で不穏なこのフレーズ。しかし、これこそが彼女が見つけ出した、唯一の「答え」なのです。

ここでいう「家」とは、物理的な建造物ではないでしょう。それは、二人が幸せだった記憶の中の世界、あるいは、相手がいる「死後の世界」そのものを指すのではないでしょうか。そして「キス」は、その世界で再び愛を交わし、結ばれるという行為の象徴です。

つまりこの一文は、「そうだ、もう死んで、あの人の元へ帰って、愛し合おう」という、狂気をはらんだ救済への決意表明なのです。

そして「腐ってしまうこの身を飾ってください」と続きます。肉体は滅び、腐っていく。その事実を受け入れながらも、あなたの記憶の中では美しくありたい、そして「私のことだけは忘れないで」と願う。この執着の深さが、彼女の愛の激しさを物語っています。

 

(謎1への答え)「天国」という名の、究極の再会

 

物語は、最終章へと向かいます。

「天使の笑い声」が聞こえ、今日も「生かされている」。これは皮肉な表現です。彼女は生きたいのではなく、むしろ死に向かっている。天使の声は、天国(死)への迎えが近いことを示唆しているのかもしれません。

「もうすぐ此方に来る頃ね」。

一瞬、相手が生き返ってこちらに来るのか?と錯覚しますが、文脈を考えれば、これは倒置表現でしょう。先に逝ってしまった「君」がいる世界へ、「私」がもうすぐ辿り着く。その「天国」で、「君」が「私」を出迎えてくれる。そんな情景を思い描いているのではないでしょうか。

そして、最後の、あまりにも切ない願いが歌われます。

もし、あの頃のままの純粋な君に、天国でまた出会えたなら。「今度はちゃんと手を握るからね」。

この世では握れなかった手。あるいは、一度は握ったのに、離してしまった手。その過ちを、来世で、天国で、やり直したい。この一点の希望だけが、彼女を死へと向かわせる原動力なのです。

だからこそ、この歌のタイトルは「天国」でなくてはならなかった。この世が地獄である彼女にとって、死の先にある再会の場所こそが、唯一の希望であり、目指すべき「天国」なのです。それは、幸福に満ちた場所ではなく、後悔と愛憎の果てにたどり着く、歪んでいながらも切実な救済の場所なのです。

 

歌詞のここがピカイチ!:「心に蛆が湧いても まだ香りはしている」という奇跡的な一行

 

この歌詞の中で、私が最も心を揺さぶられたのは「心に蛆が湧いても まだ香りはしている」というフレーズです。心が腐り果て、蛆が湧くほどの絶望と憎しみ。これ以上ないほどグロテスクで、醜いイメージです。しかし、その直後に「まだ香りはしている」と続く。どんなに心が腐敗しても、かつて愛した日々の温かい記憶、幸福だった瞬間の「香り」だけは、消えずに残っている。この一行に、本作が描く美と醜、絶望と希望、愛と憎しみのすべてが凝縮されています。この究極の対比を描き切った点に、ソングライターとしての圧倒的な才能を感じずにはいられません。

 

モチーフ解釈:「白さ」と「腐敗」

 

この楽曲では、「白さ」と「腐敗」という対照的なモチーフが重要な役割を果たしています。

「私」が憎むのは、かつての自分の「白さ」、つまり純粋さや無垢さです。それは、相手を信じきってしまった、美しいが故にもろい心の状態を象徴しています。

一方、「心に蛆が湧いても」「腐ってしまうこの身」といった言葉で表現される「腐敗」は、その純粋さが失われ、憎しみと後悔によって心が朽ち果てていく様を描いています。

しかし、重要なのは、この二つが完全に分断されているわけではないということです。「腐敗」の只中にあっても、かつての純粋な日々の記憶は「香り」として残り続ける。そして、最終的に目指す「天国」とは、「あの頃のままの君」、つまり失われた「白さ」を取り戻す場所として描かれます。語り手は、自らの腐敗を受け入れながらも、かつての白さを渇望し、それを天国に求めているのです。この二つのモチーフの相克こそが、この物語の核心をなしています。

 

他の解釈のパターン

 

 

解釈1:「僕」と「私」は別々の人物であり、普遍的な悲劇を描いているという解釈

 

本稿では「僕」と「私」を同一人物の側面として解釈しましたが、全くの別人という可能性も考えられます。「僕」は「貴方」を失った男性、「私」は「あなた」を失った女性。それぞれが同じように愛する人を亡くし、愛憎に苦しんでいる。そして、サビやブリッジで同じ感情を歌うことで、二つの個別の物語が、性別を超えた普遍的な「喪失の悲劇」として重なり合う、という構成です。この解釈では、楽曲は特定の誰かの物語ではなく、愛する人を理不尽に失ったすべての人々の魂の叫びとして、より広い共感を呼ぶかもしれません。忘れられない人への想いを歌ったHYの「366日」のように、多くの人の心に寄り添う普遍性を持つことになります。

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解釈2:これは「殺害」の歌であるという解釈

 

より踏み込んで、この歌を「語り手が愛する人を殺めてしまった歌」として解釈することも可能です。この場合、「貴方の事が許せない」のは、自分をそこまで追い詰めた相手への憎しみ。「抱きしめてしまったらもう最期」は、殺意を抱いて手をかけた瞬間のこと。「もう知る由もない」のは、相手を殺してしまったから。そして、「もうすぐ其方に往くからね」は、罪を償うための自殺、あるいは犯行後の自死を意味します。「家に帰ってキスしよう」は、死体となった相手への倒錯した愛情表現となります。この解釈に立つと、楽曲全体がより一層おぞましく、禁忌的な愛の物語として立ち現れてきます。最後の「今度はちゃんと手を握るからね」という言葉も、犯してしまった罪への後悔と、来世での贖罪を誓う、悲痛な叫びとして響いてくるでしょう。

 

歌詞の中で肯定的なニュアンスで使われている単語・否定的なニュアンスで使われている単語のリスト

 

  • 肯定的なニュアンスの単語: 天国, 朝日, 心動いている, 白さ, 大切, 愛しくて, お日様, 健気, お花, 香り, 温もり, キス, 天使の笑い声

  • 否定的なニュアンスの単語: 恨む, 許せない, 捨てきれない, 見苦しい, 憎む, 痛くて, 惨め, 蛆が湧いても, 醜く, 醜悪な汚染, 腐ってしまう

 

単語を連ねたストーリーの再描写

 

貴方を許せない。

大切で愛しくて、でも痛くて惨めな日々。

心に蛆が湧いても、あの温もりの香りは消えない。

腐ってしまうこの身で、天国であなたにキスをしたい。

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