こんにちは!今回は、星街すいせいの「もうどうなってもいいや」の歌詞を解釈していきます。この一見投げやりに聞こえるタイトルに隠された、切実で衝動的な愛の物語を一緒に探っていきましょう。
今回の謎
この楽曲の歌詞と向き合う中で、私は3つの大きな謎にたどり着きました。
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楽曲のタイトルにもなっている「もうどうなってもいいや」という言葉は、全てを投げ出す諦めの言葉なのでしょうか?それとも、何かに対する強い覚悟の表れなのでしょうか?
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「もうどうなってもいいや」と叫ぶこの曲で描かれる「逃避行」は、辛い現実からただ逃げる行為なのでしょうか。それとも、新しい現実を掴むための積極的な行動なのでしょうか?
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歌詞に登場する主人公「わたし」と「キミ」は、どのような関係にあるのでしょうか。そして、印象的に使われる「月が綺麗だなんて」という言葉には、どのような意味が込められているのでしょうか。
これらの謎を紐解くことで、この曲が持つ、剥き出しの感情の核心に触れることができるはずです。
歌詞全体のストーリー要約
この歌詞は、まるで一本のロードムービーのように、鮮やかな3つのステップで物語が展開していきます。
物語は、決められた筋書きをなぞるだけの退屈な日常(鳥籠)に閉塞感を抱える主人公「わたし」が、心の奥底で衝動を募らせるところから始まります。やがてその衝動は、「もうどうなってもいいや」という破壊的な覚悟へと変わり、「わたし」は「キミ」と共に全てを捨てて真夜中の逃避行へと飛び出します。その先で彼女は、理屈や常識をかなぐり捨て、ただ本能のままに「キミ」への愛を謳歌し、真の自己解放を遂げるのです。
登場人物と、それぞれの行動
この衝動的な愛の物語には、主に二人の登場人物がいます。
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わたし: この物語の主人公。決められた役割を演じるだけの「堂々巡りのファンタジー」のような日々にうんざりし、「鳥籠」の中にいるような不自由さを感じています。本能のままに行動したいという強い衝動を抱えており、最終的には「キミ」との関係性のために、すべてを壊してでも飛び出すという過激なまでの覚悟を決めます。
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キミ: 「わたし」が強く惹かれる想いの相手。曖昧な笑顔の奥に、誰も触れたことのない真実を隠しているように描かれています。「わたし」が衝動的な行動を起こす最大の動機であり、危険な「逃避行」を共にする運命のパートナーです。
歌詞の解釈
それでは、歌詞を追いながら、この息苦しい世界からの脱出劇を詳しく見ていきましょう。
鳥籠の中で募らせる、本能の衝動
この歌は、「堂々巡りのファンタジー」「アンソロジー ナゾル謎謎」という言葉で始まります。これは、まるで誰かが書いた物語の筋書きをなぞるだけの、退屈で予測可能な日常を象徴しているのでしょう。そんな日常の中で、「わたし」の心臓は「本能のままに行動」したいという「衝動」に高鳴ります。そして、プロローグの最後に、この曲のキーワード「もう どうなってもいいや」が宣言されるのです。
続くヴァースでは、「わたし」の置かれた状況がより具体的に描かれます。「当たり前のことが知りたい」と願いながらも、心は棘だらけで、行き場を失っている。そして極めつけは「鳥籠の中で踊る」という一節。これは、自由を奪われ、決められた振り付けを繰り返すだけの不自由な状態を鮮烈に描き出しています。言い訳ばかりの毎日に、彼女は心底うんざりしているのです。
この抑圧された状況からの解放を求める姿は、社会の理不尽さにもがきながらも、それをエネルギーに変えて踊る、こっちのけんと「はいよろこんで」の世界観ともどこか通じるものがありますね。

プリコーラスでは、その葛藤がさらに深まります。彼女は現状を取り繕おうと泣き叫び、苦しんでいる。物語の「主人公」であれば、「魔法みたいな都合いいもの」で最後はハッピーエンドが約束されているかもしれない。でも、自分は違う。そんな都合のいい結末は訪れない。その現実認識が、**「それなら好きにさせてよ」**という強い意志へと繋がり、ついに「もう どうなってもいいや」という、諦めと覚悟が入り混じった叫びへと至るのです。
真っ逆さまの逃避行と、月夜の愛の告白(謎1、2、3への答え)
そして、サビで物語は一気に動き出します。
「真っ逆さまに落ちていった 無重力 midnight 逃避行」。
このフレーズは、この曲の核心を見事に捉えています。「真っ逆さまに落ちる」という通常ネガティブな行為が、「無重力」という言葉と組み合わさることで、恐怖ではなく、常識や社会規範といったあらゆる重力から解放された、究極の自由と浮遊感の象徴へと変化するのです。
これは、単なる現実逃避ではありません。決められた筋書きの偽りの現実(鳥籠)から、**「キミ」との真実を掴むための、積極的で主体的な「逃避行」**なのです。
この逃避行の果てに、二人は「秘密の裏側」で交わり、互いの虜になる。もはや、失うものなど何もない。「一切合切持っていって 余すことなく人生謳歌」するのです。
ここで、あの有名なフレーズが登場します。「月が綺麗だなんて」。
これは、夏目漱石の逸話に由来する、「I love you」の婉曲的な表現としてあまりにも有名です。しかし、この文脈で使われることで、それは単なる引用以上の意味を持ちます。ありきたりで、使い古された愛の言葉でさえも、この「キミ」との特別な夜(wonder)においては、世界の全てを塗り替えるほどの輝きを放つ。そして「わたし」は、その剥き出しの感情のままに「愛を謳う」のです。
つまり、**「もうどうなってもいいや」という言葉は、投げやりな諦めではなく、「決められたbad endingを迎えるくらいなら、全てを捨ててでもキミとの愛に生きる」という、破壊的で純粋な「覚悟」**だったのです。
盲目的な愛と、なけなしの勇気
物語はさらに「キミ」の奥深くへと進んでいきます。
「キミの瞳の奥へとピント合わして focus」。曖昧な笑顔の裏にある、誰も触れたことのない「キミ」の真実を、「わたし」は渇望します。「簡単じゃないから もっと、もっと、もっと、もっと盲目に」という言葉は、理屈や計算ではなく、ただ純粋な感情だけで「キミ」にのめり込んでいきたいという、切実な願いの表れです。
そして、再びプリコーラスへ。今度は「狂ってブワッと曝け出すように」と、より衝動性が増しています。「諦めちゃってはもう bad ending」だから、「なけなしの勇気」を振り絞って、再び叫ぶのです。「もう どうなってもいいや」と。この反復は、彼女の覚悟が揺るぎないものであることを強く示しています。
この「なけなしの勇気」を振り絞って恋に飛び込んでいく姿は、幾田りらの「恋風」で描かれる、過去の傷を乗り越えて新しい恋へと踏み出す主人公の姿とも重なりますね。

儚いからこそ「特別」になる、一夜の記憶
ブリッジでは、少しだけ冷静な視点が差し込まれます。この燃えるような逃避行は、「火花みたい」に儚いものかもしれない。いつか忘れてしまうかもしれない。でも、「わたし」は知っています。その儚い記憶に「感情の栞」をはさんでおけば、それは色褪せることなく、人生の中で「特別」なものとして輝き続けるだろう、と。
そして、静寂の中、二人の距離は「温もり感じる」まで近づき、「月の涙が降った」。この世界では、自分たちの選択は「真っ当」なものとして受け入れられず、異質な存在(stranger)かもしれない。それでも構わないと、彼女はもう一度、心の底から「愛を叫ぶ」のです。
歌詞のここがピカイチ!:「真っ逆さまに落ちていった 無重力 midnight 逃避行」という究極の解放表現
この歌詞の最も独創的で心を掴むポイントは、やはり**「真っ逆さまに落ちていった 無重力 midnight 逃避行」**というサビのフレーズでしょう。常識や安定といった「地面」を失い、社会の規範から「落下」していく。その本来であれば恐怖でしかない状況を、「無重力」という言葉で、しがらみから解放された最高の自由と浮遊感として描いています。これは、常識から逸脱していくスリルと、破滅的で甘美な恋愛に溺れていく陶酔感を見事に表現した、天才的な比喩だと思います。
モチーフ解釈:魔法 / ファンタジー
この歌詞では、「魔法」や「ファンタジー」という言葉が、巧みにその意味合いを変化させていきます。
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偽りの現実としてのファンタジー: 冒頭の「堂々巡りのファンタジー」は、決められた筋書きをなぞるだけの、退屈で不自由な現実を象徴しています。
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憧れと皮肉の対象としての魔法: プリコーラスで語られる「魔法みたいな都合いいもの」は、物語の主人公にだけ訪れるご都合主義的なハッピーエンドを指し、そうではない自分との対比から、強い皮肉とほんの少しの憧れが感じられます。
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自ら創り出す奇跡としてのワンダー: しかし、最終的に「わたし」は都合のいい魔法を待つことをやめます。「もうどうなってもいいや」と自ら夜に飛び出し、「この夜は全て wonder」だと宣言します。これは、誰かに与えられる「魔法」ではなく、自分たちの手で現実を「不思議」で満たされた奇跡の一夜に変えた、という主体的な意志の表れです。待つファンタジーから、創り出すファンタジーへの見事な転換が描かれているのです。
他の解釈のパターン
解釈A: アーティスト・星街すいせい自身のメタファー説
この歌詞を、VTuber・アーティストとして活動する星街すいせい自身の心の叫びとして解釈することも可能です。「鳥籠」とは、時に不自由さを伴う「アイドル」という枠組みや、ファンが作り上げたパブリックイメージのことかもしれません。「本能のままに行動したい」という衝動は、偶像(ペルソナ)ではなく、一人の人間・星街すいせいとしての素顔を見せたいという願いの表れではないでしょうか。「キミ」とは、特定の個人ではなく、そんな彼女のありのままを受け入れ、応援してくれるファンやリスナー。「もうどうなってもいいや」と全てを曝け出す覚悟を決めることで、ファンと真の意味で繋がり、共に「人生を謳歌」したいという、彼女からの熱烈なメッセージソングとして読み解くことができます。
解釈B: 創作活動に行き詰まったクリエイターの歌説
もう一つの可能性として、「わたし」を創作に行き詰まったクリエイターと見立てる解釈です。「堂々巡りのファンタジー」「アンソロジー ナゾル謎謎」は、既存の作品の模倣ばかりでオリジナリティを見失い、スランプに陥っている状態を指します。「主人公なら起承転結 happy ending」という創作のセオリーに縛られ、苦しんでいるのです。そんな彼女にとって、「キミ」はインスピレーションの源泉となるミューズのような存在。「もうどうなってもいいや」と既成概念やセオリーを投げ捨て、本能と衝動のままに作品を生み出す(=逃避行)ことで、新たな表現世界を獲得し、創作活動の喜び(=人生謳歌)を取り戻していく。そんなクリエイターの苦悩と再生の物語としても、この歌詞は深く響きます。
歌詞の中で肯定的なニュアンスで使われている単語・否定的なニュアンスで使われている単語のリスト
肯定的ニュアンスの単語
当たり前、本当の気持ち、好きにさせてよ、真っ逆さま、無重力、逃避行、秘密の裏側、虜、一切合切、人生謳歌、混じり合う、星、想い馳せて、月が綺麗、wonder、愛を謳う、真実の園、盲目に、life full、勇気、火花、証、特別、温もり、愛を叫ぶ
否定的ニュアンスの単語
堂々巡り、ナゾル謎謎、苦し紛れ、言い訳、いらない、意味ない、行き場を失った、棘、鳥籠、弱って、穿って、取り繕う、泣き叫んで、消えないように、bad ending、曖昧な笑顔、簡単じゃない、狂って、忘れちゃった、儚いね、真っ当では受け流されて、stranger
単語を連ねたストーリーの再描写
鳥籠の中で言い訳ばかりの私は、bad endingを避けるため、
「もうどうなってもいいや」と「キミ」と真夜中の逃避行へ。
一切合切捨てて、この夜、愛を謳歌する。