こんにちは!今回は、「もうどうなってもいいや」という諦めにも似た、しかしその裏に強い解放と願望を秘めた歌詞の世界を深く掘り下げていきましょう。
歌詞全体のストーリー要約

迷いと衝動の始まり
繰り返される日常と内なる衝動の間で、「もうどうなってもいいや」という解放的な感情に至る過程。
逃避行と愛の探求
現実からの逃避と、非日常的な空間での秘密の共有を通じて、本能的な愛の探求が始まる。
真実と希望への肯定
曖昧な現実の中で真実を求め、たとえ愚かであっても、愛を叫び、人生を謳歌しようとする肯定的な姿勢。
登場人物と、それぞれの行動
この歌詞に登場する主な人物は、一人称で語られる**「僕」、そして「僕」が呼びかけ、あるいは共に感情を共有する「キミ」**です。
**「僕」**は、当たり前のことが知りたいと願いながらも、心に棘を抱え、同じことを繰り返す日々に閉塞感を覚えています。しかし、その中で「もうどうなってもいいや」という諦めや解放の感情を抱き、本能のままに行動しようとします。苦し紛れの言い訳を捨て、弱さや狂気を曝け出し、時には盲目的に真実を求め、最終的には「愛を謳う」「愛を叫ぶ」という行動に出ます。
**「キミ」**は、「僕」が真実の園を見つめようとピントを合わせる対象であり、その瞳の奥には誰も触れたことのない真実が隠されているようです。「キミはどう思う?」という問いかけや、曖昧な笑顔に揺れる姿が描かれることから、「僕」にとって重要な他者であり、その存在が「僕」の行動や感情に影響を与えていると読み取れます。
歌詞の解釈
Intro:堂々巡りのファンタジーと解放の衝動
「堂々巡りのファンタジー アンソロジー ナゾル謎謎」という冒頭は、まるで出口の見えない迷路や、繰り返される物語の中にいるような感覚を表しています。日常がどこか非現実的で、同じことの繰り返しであるという閉塞感を暗示しているかのようです。「アンソロジー」は複数の物語の集合体であり、自分自身の人生が、様々な出来事の寄せ集めであるという認識も読み取れます。「ナゾル謎謎」は、人生や世界の意味を探求しようとする、しかし明確な答えは見つからない問いかけを表現しています。
しかし、その後に続く「本能のままに行動 鼓動に高まる衝動 (Ooh-ooh)」というフレーズは、理性や常識に囚われず、内なる情熱や欲望に従って生きようとする強い意志を示しています。繰り返しの日常から抜け出し、抑圧された感情を解き放ちたいという切実な願望が感じられます。そして、「もう どうなってもいいや」という言葉は、従来の枠組みや期待から自由になり、結果を恐れずに飛び込もうとする、ある種の投げやりな、しかし究極的には解放された心境を表していると言えるでしょう。この言葉は、この歌詞全体を貫く重要なテーマであり、諦めではなく、むしろ新たな行動への覚悟を表明していると解釈できます。
Verse 1:当たり前への渇望と心の閉塞感
「当たり前のことが知りたいだけ 星に願う本当の気持ち」という一節は、複雑な世界や人間関係の中で、むしろシンプルで本質的な「当たり前」を求める純粋な願望が込められています。しかし、それが叶わず、星に願うしかない状況は、主人公の孤独感や無力感を表しているのかもしれません。「苦し紛れの言い訳は いらない 意味ない キミはどう思う?」という問いかけは、自己弁護に疲弊し、他者の本音や率直な意見を求めている姿を示唆しています。「キミはどう思う?」という問いは、他者との共感や理解を求める切実な欲求の現れでしょう。
「行き場を失ったみたいだ 心は棘の類で (フー) 同じことばっかり繰り返して 鳥籠の中で踊る (踊る)」という描写は、主人公の閉塞感をより具体的に表現しています。「行き場を失った」という感覚は、目的や方向性を見失い、漂っているような不安定な精神状態を表します。「心は棘の類で」という比喩は、自らの心が傷つきやすく、また他者を傷つける可能性も秘めているような、内なる複雑な感情を暗示しています。そして、「同じことばっかり繰り返して 鳥籠の中で踊る」という表現は、自由を奪われた状況で、無意味な行動を繰り返しているかのような絶望的な状況を描いています。鳥籠とは、社会の規範や期待、あるいは自分自身の内なる制限など、主人公を縛るものを象徴していると考えられます。この閉塞感からの脱却が、続く「もうどうなってもいいや」という衝動へと繋がっていくのです。
Pre-Chorus:自己解放の願望と物語の転換
「弱って 穿って 取り繕うまで 描いて 泣き叫んで 消えないように」という一節は、自己の弱さや醜さを深く掘り下げ(穿って)、それを隠そうとする(取り繕う)過程で、それでも自身の存在を強く主張しようとする(描いて、泣き叫んで、消えないように)葛藤を描いています。この行為は、自己表現であり、また自己防衛でもあります。
「魔法みたいな都合いいもの 主人公なら起承転結 最後はどうなっても happy ending それなら好きにさせてよ」という言葉は、人生がまるで物語のように、都合の良い展開やハッピーエンドを迎えることを夢見ている様子が伺えます。しかし、現実はそうではないことを悟り、それならばいっそ「好きにさせてよ」と、自身の選択に委ねることを要求しています。これは、他者の期待や社会のレールから外れ、自分自身の意志で人生を歩みたいという強い願望の表れです。そして、再び「もう どうなってもいいや」と繰り返すことで、その願望をさらに強固なものにしています。結果を問わず、自分自身の選択を肯定する覚悟が感じられます。
Chorus:無重力の逃避行と愛の謳歌
「真っ逆さまに落ちていった 無重力 midnight 逃避行」というChorus冒頭は、現実からの劇的な離脱と、予測不能な自由な状態を描いています。「真っ逆さまに落ちる」という表現は、破滅的な状況にも見える一方で、重力から解放されたような爽快感を伴うイメージです。深夜の「無重力 midnight 逃避行」は、社会の規範や時間軸から解き放たれた、秘密の、そしてどこか幻想的な世界への旅立ちを象徴しています。
「秘密の裏側交わって虜 (虜 oh, woah)」というフレーズは、普段は見せない、あるいは隠された感情や欲望が交錯し、それに魅了されている様子を表しています。この「秘密の裏側」とは、本音や深層心理、あるいは世間には受け入れられないような衝動を指すのかもしれません。そうしたものに囚われることで、かえって自己が解放されるという逆説的な感覚が表現されています。
「一切合切持っていって 余すことなく人生謳歌 (Oh, 混じり合う) 混じり合う星に想い馳せて (Yeah, yeah)」という一節は、過去も未来も、良いことも悪いことも全てを受け入れ、人生を最大限に楽しもうとする強い肯定的な姿勢を示しています。全てを投げ出し、しかし全てを享受するという、大胆な生き方が描かれています。「混じり合う星に想い馳せて」という表現は、広大な宇宙や、他者との繋がり、あるいは様々な感情の融合を連想させます。混沌の中にこそ、豊かさを見出そうとする精神が感じられます。
そして、「月が綺麗だなんて この夜は全て wonder 愛を謳う」という言葉は、美しい夜空の下で、世界の全てが奇跡(wonder)であるかのように感じられるほどの深い感動を表しています。「月が綺麗だ」は、夏目漱石が”I love you”を訳した言葉としても知られており、直接的な愛情表現を避けて、情景の中に深い愛を込める日本の美学と重なります。この夜に全てが肯定され、愛そのものを歌い上げることで、主人公は最高の境地に達しているように見えます。これは、現実からの逃避行の果てに見出した、究極の自己肯定と世界との一体感の表れと言えるでしょう。
Verse 2:曖昧な真実と盲目的な探求
「曖昧な笑顔に揺れてる (揺れてる) キミの瞳の奥へとピント合わして focus (Aw)」というVerse 2冒頭は、他者(キミ)の表面的な表情の裏に隠された真実を深く見つめようとする主人公の試みを描いています。曖昧な笑顔は、本音を隠した表情や、解釈の余地を残す態度を示唆しており、それを見破ろうと「ピント合わして focus」する行為は、本質を見抜きたいという強い欲求を表しています。「Aw」という息遣いは、その集中と緊張感を示しています。
「誰も触れたことのない真実の園 雨に濡れたカラダ ざわつくぎらつく」という表現は、まだ誰も発見していない、あるいは触れることのできない深い真実の世界が存在することを示唆しています。「真実の園」という言葉は、理想郷や禁断の知識のようなものを連想させます。雨に濡れて「ざわつくぎらつく」カラダは、感情の高まりや、真実に触れることへの興奮と緊張、そしてある種の官能的な感覚を表しているのかもしれません。
「簡単じゃないから もっと、もっと、もっと、もっと盲目に」という言葉は、真実を探求することが決して容易ではないことを認めつつも、それゆえに理性を超えた衝動で、あるいは情熱的に、その探求に没頭しようとする姿を示しています。「盲目に」という言葉は、周りが見えなくなるほど夢中になる状態を指し、それは危険を伴う一方で、最高の集中と探求を可能にする状態でもあります。
Pre-Chorus 2:狂気の解放と最後の希望
「狂ってブワッと曝け出すように 1、2の3でココロ life full」というPre-Chorus 2では、理性の箍が外れ、内なる狂気を一気に解放しようとする様子が描かれています。「ブワッと曝け出す」という表現は、抑圧された感情が爆発的に噴出するような勢いを伴います。「1、2の3でココロ life full」は、一気に心を解放し、人生を最大限に生きようとする決意を表しているのでしょう。
「魔法みたいな都合いいもの そんなものだって縋りつきたい」というフレーズは、たとえそれが非現実的な幻想であっても、苦しい状況から逃れるために、それにしがみつきたいという切実な願いを表しています。追い詰められた状況下での、最後の希望や救済を求める姿が描かれています。
「諦めちゃってはもう bad ending なけなしの勇気を もう どうなってもいいや (Oh, woah)」という言葉は、諦めることが「bad ending」に繋がるという認識を持ち、残されたわずかな勇気を振り絞って、再び「もうどうなってもいいや」と宣言することで、状況に身を委ね、未来を切り開こうとする覚悟を示しています。この「もうどうなってもいいや」は、最初のそれよりも、さらに深い覚悟と、絶望の淵からの最後の挑戦のようなニュアンスを帯びています。
Bridge:儚い感情と特別な存在
「火花みたいに燃えた証 いつかの日か忘れちゃった」というBridge冒頭は、過去の情熱的な経験や、心に残った強い感情が、いつの間にか記憶の彼方に薄れてしまったことを示唆しています。「火花」は一瞬の輝きや激しさを表し、それが忘れ去られることの儚さを感じさせます。
「『儚いね』なんて感情の栞はさんで 特別になるんだろう」という表現は、その儚さや、忘れ去られた感情を、人生の特別なページとして認識し、心の中に大切に留めておくことの重要性を歌っています。「感情の栞をはさむ」という行為は、その感情を一時的なものとしてではなく、人生の一部として記憶に留めることのメタファーです。そうすることで、一見ネガティブな感情や、過ぎ去った出来事も、自分にとってかけがえのない「特別」なものとなるのだと示唆しています。
Breakdown:現実からの逸脱と愛の叫び
「真っ当では受け流されて 静寂 twilight 逃避行」というBreakdownは、社会の一般的な価値観や常識(真っ当)では、自身の感情や存在が受け入れられないと感じている様子を表しています。そのため、「静寂 twilight 逃避行」という形で、再び現実から離れた、静かで薄暗い場所へと逃れようとします。ここは、世間の目から隠れ、自分自身と向き合うための空間かもしれません。
「温もり感じる距離まで引き寄せて 月の涙が降った この世はまるで stranger 愛を叫ぶ (Ooh, woah, さま)」という言葉は、孤独な逃避行の中で、人間的な温かさや繋がりを求める切実な欲求を表しています。「温もり感じる距離」とは、心の繋がりや理解を示唆しています。そして、「月の涙が降った」という詩的な表現は、静かで悲しくも美しい情景を描き出し、感情の高まりを象徴しています。「この世はまるで stranger」という感覚は、世界との間に隔たりを感じ、疎外感を抱いていることを示唆しています。しかし、その中で「愛を叫ぶ」という行為は、孤独や疎外感に抗い、自身の存在と感情を世界に向けて強くアピールしようとする、究極の自己表現であり、他者との繋がりを求める叫びであると解釈できます。
Outro:堂々巡りと衝動の繰り返し
最後のOutroでは、Introと同じフレーズが繰り返されます。「堂々巡りのファンタジー アンソロジー ナゾル謎謎 本能のままに行動 鼓動に高まる衝動 (Ooh-ooh) (Ha, もう どうなってもいいや)」この繰り返しは、人生が常に問いかけと衝動の繰り返しであり、その中で「もうどうなってもいいや」という覚悟が、継続的な解放のプロセスであることを示唆しています。始まりと終わりが繋がることで、この歌が描くテーマが、一度きりの出来事ではなく、人生の中で何度も繰り返される普遍的な心の状態であることを強調していると言えるでしょう。
モチーフ解釈:「もうどうなってもいいや」
この歌詞全体を貫く最も重要なモチーフは、タイトルにもなっている**「もうどうなってもいいや」**という言葉です。一見すると、諦めや無気力、投げやりな感情を表しているように見えますが、この歌詞においては、それ以上の多層的な意味を持っています。
まず、これは**「現状からの解放と逸脱」**の宣言です。日常の閉塞感や繰り返される不毛な思考、他者の期待や社会の規範から自由になりたいという願望の表れです。「鳥籠の中で踊る」状態から抜け出し、「真っ逆さまに落ちていった無重力 midnight 逃避行」へと向かうための、重要な決意の言葉となっています。結果を恐れず、あるいは結果に対する執着を手放すことで、行動の自由を手に入れているのです。
次に、この言葉は**「本能と衝動への肯定」**を意味します。理性や常識に縛られることなく、「本能のままに行動」「鼓動に高まる衝動」に従うことを許可する言葉です。これは、自身の内なる声に耳を傾け、抑えられていた感情や欲望を解き放つプロセスの一部であり、結果的に「一切合切持っていって余すことなく人生謳歌」という究極の自己肯定へと繋がります。
さらに、「もうどうなってもいいや」は、**「不完全さの受容と自己責任」**の表明でもあります。完璧なハッピーエンドを望むのではなく、たとえ「bad ending」になろうとも、自分自身の選択を受け入れる覚悟を示しています。これは、他者に責任を押し付けたり、言い訳をしたりするのではなく、自らの人生の主導権を握り、結果を全て引き受けるという強い意志の現れです。
この言葉が歌詞の様々な箇所で繰り返されることで、その意味合いが深まり、単なる諦めではなく、むしろ**「自己の再構築と、予測不能な未来への大胆な挑戦」**という、極めて前向きなメッセージへと昇華されていると言えるでしょう。
歌詞の中で肯定的なニュアンスで使われている単語・否定的なニュアンスで使われている単語のリスト
肯定的なニュアンスの単語:
- 本能
- 鼓動
- 衝動
- happy ending
- 好きにさせてよ
- 無重力
- 逃避行
- 秘密
- 虜
- 一切合切
- 人生謳歌
- 混じり合う
- 想い馳せて
- 綺麗
- wonder
- 愛を謳う
- focus
- 真実
- ざわつく
- ぎらつく
- 盲目に
- 曝け出す
- full
- 縋りつきたい
- 勇気
- 火花
- 証
- 儚い
- 栞
- 特別
- 温もり
- 引き寄せて
- 叫ぶ
否定的なニュアンスの単語:
- 堂々巡り
- 謎謎
- 居ない
- 苦し紛れ
- 言い訳
- いらない
- 意味ない
- 行き場を失った
- 棘
- 繰り返して
- 鳥籠
- 弱って
- 穿って
- 取り繕う
- 泣き叫んで
- 消えない
- 都合いいもの
- bad ending
- 曖昧
- 濡れた
- 簡単じゃない
- 諦め
- 忘れちゃった
- 真っ当では
- 受け流されて
- 静寂
- 涙
- stranger
この歌詞は、内なる葛藤や社会への違和感を抱えながらも、最終的には自己を解放し、本能のままに人生を謳歌しようとする、力強いメッセージを秘めています。あなたにとって、「もうどうなってもいいや」という言葉は、どのような意味を持つでしょうか?
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