ちゃんみな「SAD SONG」の歌詞の意味を考察。「さよなら」が言えない私が、この愛を残すためにできること。

歌詞分析

こんにちは!今回は、ちゃんみなさんの「SAD SONG」の歌詞を解釈します。切ない別れの予感と、永遠を願う強い愛が交差するこの歌に迫ります。

 

今回の謎

 

このエモーショナルな楽曲を聴いて、皆さんはどんな謎を感じましたか?この記事では、特に以下の3つの謎について、深く掘り下げていきたいと思います。

  1. この曲はなぜ「SAD SONG」と「LOVE SONG」という、相反する二つの名前を持っているのでしょうか?

  2. 歌詞に登場する「君」は、なぜ「お化けだったとかさ」と疑われるほど、現実離れした存在として描かれているのでしょうか?

  3. 結末で、主人公は「さよならはできない」と断言します。この言葉に込められた、彼女の覚悟と未来への願いとは一体何なのでしょうか?

 

歌詞全体のストーリー要約

 

この楽曲が描く、愛と別れの物語は、大きく3つのステップで構成されていると読み解くことができます。

物語は、待ち望んだ「君」との夢のような出会いから始まります。しかし、その幸せが完璧であるほど、「私」は終わりへの不安を募らせ、相手の存在すら疑い始めます。その恐怖から、「私」は自らの肉体が滅んでも、この愛だけは「歌」として永遠に残ってほしいと強く祈ります。最終的に、「私」は別れを運命として受け入れるのではなく、自らの意志で「永遠」を信じ、歌い続けることで愛を繋ぎとめるという決意を固めるのです。

 

登場人物と、それぞれの行動

 

この歌詞の世界には、強い愛と不安を抱える主人公と、その対象となるどこか儚い存在が登場します。

  • : この歌の語り手。ずっと会いたかった「君」との出会いに至上の喜びを感じ、深い愛情を注いでいます。しかし同時に、この幸せがいつか終わってしまうことへの強い恐怖心を抱いており、その心は激しく揺れ動きます。最終的には、その愛を自らの「歌」に託すことで、永遠を掴み取ろうと決意します。

  • : 「私」が深く愛する、かけがえのない存在。美しく、穏やかで、どこか現実離れした雰囲気を纏っています。その存在はあまりに完璧で、まるで「お化け」のように儚く、いつかいなくなってしまうのではないか、という不安を「私」に抱かせます。

 

歌詞の解釈

 

それでは、歌詞を追いながら、主人公の心の機微を紐解いていきましょう。これは、ただ悲しいだけの歌でも、ただ愛を歌うだけの歌でもありません。

 

悲しい歌の始まり―出会いと別れの予感

 

この曲は、あまりにストレートで衝撃的な宣言から幕を開けます。最初から「別れ(goodbye)」が強烈に意識されており、この物語がハッピーエンドではないかもしれない、という不穏な空気が漂います。

続いて、夜空の美しさが、かえってこの瞬間の非現実感を際立たせます。ずっと会いたかった「君」との、待ちに待った出会い。しかし、「私」は「少しだけ心配してた」と、喜びの中にも一抹の不安があったことを吐露します。一方、「君」はそんな心配など意に介さないように、「なんて事ないって顔してる」。この時点で既に、「私」と「君」の間には、現実への向き合い方に少しズレがあることがわかります。

「ずっとそばにいてよ」という切実な願い。しかし、「こんなご時世にさ」「そんなわがままダメなのかな」という言葉には、その願いが簡単に叶うものではないという諦めが滲んでいます。

 

SAD SONGであり、LOVE SONGである理由(謎1への答え)

 

そして、この曲の核心であるコーラスへと続きます。

(謎1への答え)

この曲が「SAD SONG」と「LOVE SONG」という二つの顔を持つ理由は、愛が深ければ深いほど、それを失うことへの悲しみや恐怖もまた、同じだけ深くなるという、愛の本質そのものを歌っているからです。「君」との別れを強く予感しているから、これは紛れもなく「SAD SONG」。しかし、その予感は、「君」をどうしようもなく愛しているからこそ生まれる。だから、これは究極の「LOVE SONG」でもあるのです。喜びと悲しみは矛盾するものではなく、ここでは表裏一体。その二つが最も高い濃度で混じり合った、奇跡のような瞬間の感情を切り取ったのが、この楽曲なのです。

「この夢が終わる時はそっと教えてね」というフレーズは、今の幸せがまるで「夢」のように儚いものであることを示唆しています。それでも、「さよならはまだ先でしょう」と終わりが来ることを先延ばしにしたいと願う気持ちは、HYの「366日」で歌われる、忘れられない人への断ち切れない想いにも通じる切なさがあります。

https.lyrics-kaisyaku.top/hy%e3%80%8c366%e6%97%a5%e3%80%8d%e3%81%ae%e6%ad%8c%e8%a9%9e%e3%81%ae%e6%84%8f%e5%91%b3%e3%82%92%e8%80%83%e5%af%9f%ef%bc%81/

 

君は「お化け」?―募る不安と愛の深さ(謎2への答え)

 

二番では、主人公の不安がより具体的な疑念となって現れます。「本当のこと教えてよ 後で悲しみたくないの」。

(謎2への答え)

ここで飛び出す「例えば君の正体はお化けだったとかさ」という突飛な比喩。これは、「君」との出会いがあまりに完璧で、現実離れしていることの象徴です。本当に幽霊だと思っているわけではなく、「お化けのように、いつか前触れもなく消えてしまうのではないか」という、彼女の恐怖心が作り出したメタファーなのです。それは同時に、「君」がこの世の理から外れた、特別な存在であるかのような儚さと美しさを纏っていることも示しています。

しかし、驚くべきはその後です。たとえ君が実体のない存在で、いつか消えてしまう運命だとしても、構わない。今、この瞬間に君を愛せるのならそれでいい、という、常軌を逸したほどの愛の深さがここに示されています。

 

永遠への祈り―歌に託す想い

 

「背が止まる頃に永遠って言葉を疑うのかな」。子供の頃は無邪気に信じられた「永遠」という概念が、大人になるにつれて信じられなくなるという、誰もが経験するであろう切ない真理。この諦念が、彼女を「祈り」へと向かわせます。

自分の肉体が滅び、物理的な存在が消えてしまったとしても、この純粋な「愛」という感情だけは、時を超えて残ってほしい。そして、その愛を託す媒体こそが、「この音とこんな歌声を信じていて欲しいんだ」と歌われる、この楽曲そのものなのです。これは、歌い手として、自らの歌に絶対的な魂を込めるという宣言でもあります。美しい歌声の裏にある想いを歌ったクリープハイプの「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」のように、ここでの「歌」は単なる音楽ではなく、魂そのものとして扱われています。

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「さよならはできない」という決意(謎3への答え)

 

ループするコーラスは、彼女の終わらない葛藤を表しているかのようです。しかし、アウトロで彼女は一つの答えに辿り着きます。それは、運命を受け入れるのではなく、自らの意志で未来を「選択」するという覚悟です。

「永遠って事にしておこうよ」。

これは、諦めではありません。疑うことをやめ、信じることを選ぶという、積極的な決断です。

(謎3への答え)

最後の「さよならはできないから」という言葉。これは、単に別れたくないという駄々ではありません。たとえ物理的な別れが訪れたとしても、私の中ではこの愛を終わらせない、という強い意志表示です。「もしもこの夢が覚めたとして もう一度歌って叫んで」というフレーズが、その覚悟を裏付けます。現実として君が目の前からいなくなったとしても、私はこの「SAD SONG」を歌い続ける。そうすることで、君との愛を、思い出を、何度でもこの世界に再生産し、永遠にするのだ、と。だから、私の物語に「さよなら」という結末は存在しない。この歌がある限り、愛は決して終わらない。これこそが、彼女が恐怖と悲しみの果てに見つけ出した、愛を永遠にするための唯一の方法なのです。

 

歌詞のここがピカイチ!:「死んでもこの愛だけは…咲いてますように」

 

この歌詞の中で、最も心を揺さぶるのは「願うならこんな私が 死んでもこの愛だけは せめて 残って 咲いてますように」というフレーズではないでしょうか。自分の肉体の消滅という、有限の存在であることを受け入れた上で、感情や想いという無形のものの永続性を願う。そのスケールの大きさに圧倒されます。特に、ただ「残って」と願うだけでなく、「咲いてますように」と、生命力あふれる「花」に喩えている点が秀逸です。愛を、ただの記憶として保存するのではなく、未来永劫、美しく生命力を持って存在し続けてほしいという、力強い祈り。これこそ、この歌が単なる悲しい歌ではなく、生命讃歌としての側面も持つことを示しています。

 

モチーフ解釈:「歌(SONG)」が繋ぐ永遠

 

この楽曲における最も重要なモチーフは、タイトルにもなっている「歌(SONG)」そのものです。

主人公は、時間と共に移ろい、いつか終わりが来る物理的な現実の世界では、「永遠」を信じることができません。だからこそ、彼女は自らの「音」と「歌声」に、決して消えることのない純粋な愛を託すのです。

「This is a fucking sad song」「This is a fucking love song」と、自らの楽曲名を歌詞に盛り込むメタ的な構造は、この「歌」自体が、愛を永遠にするためのタイムカプセルのような装置として機能していることを強調しています。夢が覚めても「もう一度歌って叫んで」とあるように、「歌う」という行為こそが、失われたかもしれない愛を現在に呼び戻し、未来へと繋いでいくための唯一の魔法なのです。

 

他の解釈のパターン

 

この楽曲は、その普遍的なテーマ性から、異なる視点での解釈も豊かに広げることができます。

 

解釈1:ファンへの愛と別れを歌った、アーティストとしての告白

 

この歌詞の「私」をアーティストであるちゃんみな自身、「君」を「ファン」と解釈すると、この歌は極めてパーソナルなメッセージソングとして響きます。「ずっと会いたかったんだよ」は、ライブなどでファンと対面する時の偽らざる気持ち。しかし、アーティストとファンの関係は、いつか終わりが来るかもしれない儚い「夢」のようなもの。だからこそ、自分のキャリアが終わったり、この世を去ったりしても、作品(歌)に込めたファンへの愛だけは永遠に残ってほしい、と願っているのかもしれません。これは、アーティストとしてファンへ向けた、この上なく誠実な愛の告白と読めます。

 

解釈2:既に亡くなった人への、追悼の歌

 

もう一つの可能性として、「君」が既にこの世にいない存在(お化け)であり、この歌がその人への追悼歌である、という解釈です。「Hello, how are you?」は、夢の中や霊的な形で、久しぶりに「君」と再会できた場面かもしれません。「さよならはまだ先でしょう」という言葉は、愛する人の死をまだ完全には受け入れられていない、遺された者の心の叫び。「私が死んでもこの愛だけは」という願いは、自分が死んで「君」のいる場所へ行く時まで、この愛が変わらずに続いているように、という祈りになります。この解釈では、楽曲全体がより深く、個人的な悲しみに満ちたレクイエムとして立ち現れてきます。

 

歌詞の中で肯定的なニュアンスで使われている単語・否定的なニュアンスで使われている単語のリスト

 

肯定的なニュアンスの単語

beautiful, 綺麗だ, はじめまして, 会いたかった, なんて事ないって顔, そばにいて, love song, 好きだ, 笑う, 愛, 残って, 咲いてますように, 信じていて欲しい, 永遠, 笑いあってよう, 歌って, 叫んで

否定的なニュアンスの単語

sad song, fucking hard, goodbye, わがまま, 終わる時, 悲しみたくない, お化け, 変な話, 疑うのかな, 死んでも, I can’t say it, I don’t want to say it, 夢が覚めた, さよならはできない

 

単語を連ねたストーリーの再描写

 

「会いたかった」君との「beautiful」な時間は、いつか「終わる時」が来る「夢」なの?

「私」が「死んでも」、この「愛」だけは「歌」になって「咲いて」いてほしい。

「永遠」を信じるから、「goodbye」なんて絶対に言わない。

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